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ずっと勘違いし続けていた


こんばんは星

修行

その言葉からみなさんが感じるものは何でしょうか?

私も、みなさんにも自分を律して修行をしてきた過去世があります。


何のために修行してたのか?



出羽の旅で私は、
これまで勘違いをし続けていたことに気が付きました。




修行って己のためだと思っていました。



自分が悟りを得るため

精神的に成長するため

普通の生活の中では到達できない意識で生きるため




よく考えればそうなのです。



神社やお寺でも毎日、祈りが捧げられている

世界平和や万物の幸福のため


宗教を問わず神に加護を願う祈り。


あなたが知らなくとも

あなたのために毎日祈りを捧げてくれている人がいる。




きっとかつての私たちは、それをもっと肌で感じていられた。




かつての仕事のすべてが神への仕え事であったように



利己的な考えとなったのは近代で


今よりも遥かに全体性を考えて生きている人が多かった。




修行は農業との関わりもあり

山の霊力を用いて


稲の魂を稲に宿し豊穣の祈願の行や



生きたし生けるものの幸福のためや救済のために




生きたまま悟りを開き仏となるための修行で


己の為だけのものではなかった。




だからこそ苦行を遂げられるのかもしれません。






そして山伏たちが腰につけていた鈴も

熊よけではなく


地霊を鎮めるための響きであることも知りました。



自分を護るためのものではなく


地霊の為のものが結果として自分を護ることにもなる。



どちらも始まりが恐れからではなく

愛からなのだと感じました。




いつからか持ち歩くための鈴を探していました。

アウトドアのお店でも見てみたり。



通常の鈴の音はいかにも天の音で

もう少し重みのあるものが欲しいと。


月山でその鈴をやっと見つけました。

金属の風鈴に近いような響きです。





私の周りの

お仕事に広がりがある、本物だなと感じる人をみると



"自由に好きなことだけして生きたい"のようなものだけでなくて


自分の仕事を通して何を世界に貢献できるのか?

したいのか?が明確です。


自分の為だけに仕事をしていない。




犠牲なる時代は終わりました。


だから誰かのために生きるのではなく自分のために生きていい


自分の情熱や喜びの為に生きていい。




でも自分を満たすためだけなら、やっぱり発展していかないのです。



もっと、もっとと

足りないに意識を向けるのは簡単なのですが、



自分の情熱や喜びに生きることができる感謝から


もし自分のやっていることが世界や人類や何かの貢献になり得るとしたら




そう意識を向けることでより

自分の在り方が、より明確なものになっていくように感じます。




自分の元に集めるための螺旋なのか





あなたを中心に広がっていく螺旋なのか



あなたが形成しているエネルギーの状態はどちらのように感じますか?







明日はまた新たに受けて下さる方の講座の1回目です。



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明日もあなたらしく在れる1日になりますように風鈴



生きとし生けるものが幸せでありますようにハート



一なるものから生まれ出た全ての存在に愛と感謝と祈りを込めて流れ星